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名古屋高等裁判所 昭和57年(ネ)106号 判決

控訴人 森和夫

被控訴人 大沢芳博

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

1  被控訴人は控訴人に対し金二五万円及びこれに対する昭和五七年六月一日以降右支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  控訴人のその余の請求を棄却する。

二  訴訟費用は一・二審を通じこれを一〇分しその一を被控訴人、その余を控訴人の負担とする。

三  この判決は第一項1につき仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取消す。

2  被控訴人は控訴人に対し金三〇〇万円及びこれに対する昭和五六年九月二日以降支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二当事者双方の事実上の主張並びに証拠関係は次に記載するほかは原判決事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。

一  控訴人の主張

1  控訴人が蒙つた損害内容を分説すると次のようになる。

(一) 戸籍を汚されたことによる精神的苦

被控訴人と控訴人の妻君子との間に、昭和五五年五月二日道子が、さらに昭和五六年八月二九日利佐が生まれ、いずれもその頃控訴人の子として戸籍に記載されたため、控訴人は自己の戸籍を汚され、甚大なる精神的苦痛を蒙つた。

(二) 戸籍訂正申立を余儀なくされたことによる損害

控訴人は右戸籍を訂正するため、親子関係不存在確認の調停(名古屋家庭裁判所昭和五六年(家イ)第七四五号)を申立てたが相手方不出頭のため不調に終わつた。そこでさらに親子関係不存在確認の訴(名古屋地方裁判所昭和五六年(タ)第一〇六号、同五七年(タ)第一〇号)を提起し、ようやく昭和五七年五月に戸籍を訂正することができた。控訴人は右裁判手続を弁護士に依頼しその報酬として合計三〇万円を支払つた。

(三) 夫婦関係を決定的に破綻せしめたことによる損害

被控訴人は、控訴人との間で慰藉料支払の調停が成立した後も君子と同棲を続けていたのであるが、そのことのみをもつて直ちに新たな不法行為があつたとみることはできないとしても、控訴人と君子との夫婦関係調整の調停も前記控訴人との間の調停成立日と同日に不調に終つているのであるから、その後控訴人と君子との夫婦関係が完全に破綻し、離婚に至るかどうかは不確定な状態であつた。にも拘わらず、被控訴人は右事情を知りながら君子との情交関係を継続し、子供をもうけた。控訴人はそれまで君子が戻つて来れば、もう一度やり直してもよいという気持ちをもつていたが、子供が出来たことを知つて驚くとともに、もはや君子との夫婦関係を元に戻したいという希望を失つた。右の如く、被控訴人はまだ離婚するに至るか否か判らない程度にしか破綻していない夫婦関係を、子供をもうけることによつて決定的に破綻させた点で新たな不法行為を行つたというべきであり、これによつて控訴人は精神的苦痛を蒙つたものである。

(四) 名誉権を侵害されたことによる損害

夫婦関係がすでに殆ど破綻していたとしても、離婚がなされるまでは妻と夫は相互に貞操義務があるのであつて、被控訴人が控訴人の妻君子と情交関係をもち、二人の子供までもうけたことは、控訴人の夫としての地位に基づく名誉を著しく侵害するものであり、これによつて控訴人は精神的苦痛を蒙つた。

2  以上控訴人の蒙つた精神的損害は総額二七〇万円に相当し、財産的損害は三〇万円である。よつて、控訴人は被控訴人に対して合計三〇〇万円及びこれに対する不法行為後である昭和五六年九月二日以降支払ずみに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被控訴人の主張

被控訴人が控訴人に対し損害賠償責任を負うとの点は争う。

三  証拠〈省略〉

理由

一  成立に争いのない甲第一ないし第四号証、当審における控訴人及び被控訴人各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認定することができる。

控訴人は、昭和四六年八月七日君子と婚姻し、昭和五一年七月三日両名の子として長男栄二が生まれ、通常の夫婦生活を送つていたが、君子がキヤバレーのホステスとして働くようになつてから、君子は客であつた被控訴人と知り合い、昭和五三年二月頃、突然四〇〇万円を持出し栄二を連れて家出し、表記住所地で被控訴人と同棲するに至つた。そこで控訴人は一旦君子を自宅に連れ戻したのであるが、再び家出し被控訴人方において同棲生活を送るようになつた。被控訴人には妻子があるが別居しており、また君子と同棲を始めた時点で被控訴人は君子に夫(控訴人)があることを知つていた。そこで、控訴人は昭和五三年一二月名古屋家庭裁判所に被控訴人を相手方として慰藉料請求、君子を相手方として夫婦関係調整の各調停申立をしたところ、昭和五四年八月三〇日、控訴人と被控訴人間で、被控訴人が控訴人の妻君子と情交関係をもつたことによる慰藉料として四五〇万円の支払義務を認め、同日二〇〇万円の授受を了し、残金を同年一〇月以降毎月五〇万円宛分割支払う旨の調停が成立したが、君子に対する調停は、控訴人が被控訴人との関係を解消して復帰するよう求めたのに対し、君子はこれを拒否し、控訴人も離婚の申出をしなかつたため前同日調停不調となつた。しかし、被控訴人は右調停で合意した残金の支払をせず、君子と同棲を続けて同女を妊娠させ、昭和五五年五月二日君子は被控訴人の子道子を生んだ。そこで君子は名古屋市○区長に右道子の出生届を提出したところ、同市○○区長に送付され、控訴人の戸籍に父控訴人、母君子の長女として入籍されるに至つた。控訴人は昭和五六年三月右事実を知つて大いに驚くとともに、もはや君子は控訴人の許に戻つて来ることはないと考えるに至り同女を諦めるようになつた。しかし、戸籍上事実に反する記載があるため、本件控訴人代理人弁護士にその訂正手続を委任し、同弁護士が代理人となつて昭和五六年四月名古屋家庭裁判所に控訴人と道子間の親子関係不存在確認の調停申立をしたが、母の君子は一回も調停期日に出頭せず調停不調となつた。そこで同弁護士を代理人として名古屋地方裁判所に右親子関係不存在確認の訴を提起したが、その間被控訴人は再度君子を妊娠させ、昭和五六年八月二九日被控訴人と君子の子利佐が生まれた。そして前同様君子が出生届をした結果、控訴人の戸籍に父控訴人、母君子の二女として入籍した。控訴人は昭和五七年一月頃右事実を知つたので又もや驚くとともに前記代理人に委任して右利佐との親子関係不存在確認の訴を追加提起し、前記訴と併合審理の結果、昭和五七年四月控訴人勝訴の判決があり、控訴人はその確定判定に基づいて戸籍訂正の申立をし、ようやく昭和五七年五月二八日、道子及び利佐の戸籍中父控訴人とある部分を消除し、続柄長女及び二女とある部分を女と訂正することができた。控訴人は右戸籍訂正に関する報酬として同弁護士に対しその頃三〇万円を支払つた。

二1  控訴人は、自分の戸籍を汚された旨主張するが、婚姻中の妻が夫以外の男性との間に出来た子を生んだ場合、出生届をすれば夫婦の子としてその戸籍に記載され、後は審判又は判決に基づいてその誤りを訂正するよりほかなきものであり、前認定の戸籍取扱いはその意味で正当であるというべきである。若しかかる事態を避けようとするならば、前認定の事実関係のもとでは、届出自体をしないことしか考えられないところ、戸籍法によると、父又は母に出生届をする義務が課せられ、正当な理由なしに一四日の期間内にその届出を怠ると過料の制裁がある旨定められているから、本件において君子に出生届の提出を差し控える義務があつたと認めるわけにはいかない。結局本件の如き事案の場合、控訴人には自己の戸籍に道子や利佐を入籍させない法律上の保障は戸籍法上与えられていないものというべく、そうだとすれば同女らの入籍をもつて控訴人に戸籍制度上何らかの法的利益の侵害があるとみることはできない。

2  そこで右道子及び利佐の入籍原因である君子と被控訴人の情交関係につき判断するに、前認定の如く婚姻中の妻が他の男性と情交関係をもつことは夫に対する不貞行為であり、夫のあることを知りながら妻の相手方となつた者は夫に対する関係で不法行為責任を負うと解されるところ、本件において、被控訴人は前記の家事調停においてその責任を認め、四五〇万円の慰藉料を控訴人に支払う旨を約しており、右調停成立後も引続き情交関係を継続した点は、右調停成立の際に当事者双方にとつて予想し得た事態というべきであるから、右調停によつて過去及び予測し得る将来の関係すべてが解決したと認めるのが相当である。従つて、被控訴人に対して道子及び利佐出生の故をもつて改めてその情交につき不法行為責任を追求することはできないというべきである。

3  控訴人は、調停成立後も情交関係を継続したため、控訴人と君子の夫婦関係は完全に破綻した旨主張するが、前認定の経過からみると、君子に対する調停申立が不調に終つた時点で完全に破綻したものと認められるからその後の関係継続は新たな不法行為を構成するものとは認め難い。そして、夫婦関係が完全に破綻し妻が長らく他の男性のもとで同棲生活を送り、その者との間に子供を二人までもうけるに至つたような場合には、妻に対し貞操義務の履行を求めたり、夫の地位・名誉を侵害しないように要求する実体は失われてしまつていると認めるのが相当であり、従つてその後の妻の行動は新たな夫婦の侵害にはならないと解すべきである。控訴人の精神的損害があつたとする主張はいずれも理由がない。

4  そこで控訴人の財産上の損害の主張につき判断するに、本件戸籍訂正手続のため控訴人が三〇万円の支出を余儀なくされたことは前認定のとおりであり、当審における控訴人本人尋問の結果により明らかな如く、控訴人が一会社員に過ぎないことを考えると、控訴人が右手続を弁護士に委任したことはやむを得ない措置として是認することができる。そして婚姻関係が事実上破綻し、妻が他の男性と事実上の夫婦生活をしている場合、妻が子を出生すると、戸籍上はまだ離婚していない夫婦の子として一旦は入籍するのであるが、それは真実に反するものであるから速やかに是正する必要があることは論をまたない。そして、これが是正の方法は、調停(審判)又は判決を以て後日訂正せざるを得ないと考えられるのであるから、折角夫の方からその手続を求めた場合、妻としては夫に協力してその手続を履践すべきことが求められていると解するのが相当である。しかるに君子は出生届をしたままで、この事実を発見した控訴人が調停申立をしても不出頭を続けて調停不調とし、訴訟事件にまで拡大させたことは妻としての協力義務に明らかに反しているというべきである。右非協力は控訴人に対する関係で不法行為になると認められるところ、被控訴人は当時君子と同棲しており、しかも道子及び利佐の父であつたから、君子がした同女らの出生届についてその受理状況から結果まですべてを知つていたと推認するを相当とすべく、仮にこれらを知らなかつたとしても、その立場からみると知らないことに過失があつたというべきであるから、君子が控訴人の申立てた戸籍訂正手続に非協力の態度をとつたことについて被控訴人にも共同の責任があるというべきである。そして控訴人は右調停及び訴訟(二件)各事件の弁護士費用として三〇万円を支出しているところ、右事件の性質並びに同事件の経過に照らせば、他に反証なき本件においては訴訟事件二件分の費用はその内の二五万円と認めるを相当とすべく、従つて、被控訴人は調停に誠意をもつて応ずれば支出を免れたと思料される右二五万円を不法行為によつて生じた損害として控訴人に対して賠償する義務があるというべきである。調停事件分と認められる五万円の費用は、戸籍制度上やむを得ない出費というべく、控訴人の損害と認めることはできない。なお右戸籍訂正手続上の損害は、前記慰藉料調停の対象にはなつていなかつたと認められるから、被控訴人は右調停によつて合意した慰藉料四五〇万円とは別に右二五万円の損害金を支払わねばならないものである。

三  以上によると、控訴人の本訴請求は右金二五万円及び不法行為日(控訴人が右金員を支出したと認められる日)である昭和五七年六月一日以降右支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却すべきである。よつて控訴人の請求を全部棄却した原判決を変更することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山田義光 裁判官 井上孝一 喜多村治雄)

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